想像力のない人たちに対して思うこと

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世界を見ていて、想像力のない人たちの多さに絶望することがある。

LGBTの人に対する悪口や特定の人種に対するヘイトを見て思う。

なぜこの人たちはマイノリティになった自分を想像できないのだろうか。

 

日本で絶望している人たちを見て思う。

なぜ日本で生まれた人たちは世界の中でも経済的にも政治的にも恵まれており、後天的にも自分の努力が報われやすい社会だとわからないのだろうか。

 

成功したのは、自分の努力が理由であり、他の人よりも優秀だったと信じている人に思う。

なぜ成功した人たちは、自分の成功を自分の後天的な努力や才能だと考え、自分が生まれた環境(場所・家庭・学校…)がその大半だということを理解できないのだろうか。

 

子供にさまざまなことを禁止したり、厳しく監視する親に思う。

なぜそれが、子供の可能性を狭めている可能性があると考えないのだろうか。なぜ、違う人間だとわからないのだろうか。

こうした場面に出会うたびに、不思議に感じる。いったい、彼らの全能感は何なのだろうか。その思い込みの根拠は何なのだろうか。

なぜ僕らは晴れている日に雨の日のことを想像できないのだろうか。人生が何回もあったときに、次は彼らの立場かもしれないことをなぜ考えないのだろうか

いつもこうした違和感に気がつくのは気づかざるをえない人たちである。なぜ自分は他と違うのだろうかと。それは、自分がLGBTだったり、政情や経済が不安定な国だったり、複雑な家庭で生まれたりした人たちだ。彼らはなぜ自分が違うのだろうか、なぜ自分たちは「普通」ではないのだろうかということを考えさせられる。自分の普通と他の人の普通が同じであるという思い込みは必ずしもそうではないし、今後はますます多様化していく可能性が高い。

マス向けのものはどんどんパーソナライズ化していき、今までの同じものを見て違うことを考えるというものから、違うものを見て違うものを考えるという方向に進んでいくのではないか。それは、テレビがHuluになって、選択の幅が広がったり、CMがネット広告になって人それぞれ違うものを見たり、ネットでさえ掲示板で同じものを見ていたのが、Twitterになり、同じページにアクセスする人たちが全く違うものを目にする。

自分の感覚と他の人の感覚が同じであること、またそれを表す普通という言葉が示す範囲が狭くなっていくだろうと思う。

もっと価値観の多様性が認められて、多くの人が生きやすい世の中になっていくことを信じたい。

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